PLAZA INTERVIEW

vol.008「デビュー20周年をむかえて」

1980年代に一世を風靡した「おニャン子クラブ」のメンバーとして、85年にフジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」でデビュー。アイドルとして注目を浴びながら、86年には「あじさい橋」で歌手としてソロデビューした城之内早苗さん。「おニャン子クラブ」メンバー唯一の演歌界進出と、オリコン初登場で1位になるなどで大きな話題となった。その後は、歌手として息の長い活動を続ける一方、ラジオのパーソナリティーやテレビの時代劇で好演するなど、多彩な分野で才能を発揮している。 昨年でデビュー20周年を迎えたというひとつの節目にあたって、幼いころからもち続けてきた「歌」への思いや、芸能界での活動を振り返っていただきながら、「肖像権」の問題についての考えにいたるまでを、CPRA広報委員の松武秀樹委員がうかがった。
(2007年05月02日公開)

Profile

歌手
城之内早苗さん
1968年茨城県神栖市生まれ。幼いころから民謡と三味線を習い、中学2年生のとき「全日本演歌選手権」に応募したのをきっかけにスカウトされる。85年にフジテレビのバラエティー番組「夕やけニャンニャン」で、「おニャン子クラブ」のメンバーとしてデビュー。86年に「あじさい橋」でソロデビュー。その後、歌手として活動するとともに、時代劇「江戸を斬る」での好演や文化放送「走れ!歌謡曲」(~96)・テレビ埼玉「城之内早苗の歌謡音楽館」(07~)などでパーソナリティーをつとめたりと、多彩な活躍を続けている。昨年デビュー20周年を迎え、記念曲「シャボン玉」・初の映像作品20周年記念DVD「愛をありがとう」をリリース。歌い手として更なる飛躍を目指す。

「アイドル」の世界から演歌に

「アイドル」の世界から演歌に ―― 昨年でデビュー20周年を迎えられたということで、おめでとうございます。
ありがとうございます。

―― 子どものころから民謡を習っていたそうですが、どのようなきっかけで?
母が近所のおばさんたちと一緒に、民謡を習い始めたんです。ついていって見様見真似で歌うと、大人が喜んでくれる。それで、調子に乗って小学校4年生から民謡をやるようになったんです。でも、私は民謡より三味線に興味があって、船橋まで通って先生に教えてもらうようになったのが最初の自立です。

―― 中学2年のときに「全日本演歌選手権」に出てスカウトされたそうですが。
正直な話、歌手になりたいとは思ってなくて、むしろ民謡と三味線のお師匠さんになりたかったんです。

―― その後、演歌とはかなり違う「おニャン子クラブ」のメンバーになったわけですが、自分の気持ちとしてはどうでしたか。
とにかく勉強になるからとオーディションを受けたんですけど、始まったら、「エエーッ!」。この番組にどうやって私が出るのっていう感じでした。高校生でない河合その子さんと演歌の私とで、「私たちは絶対にうからないよね。2度と会えないね」って話して、記念に一緒に東京タワーに登って別れたんです。そうしたら二人とも受かっていて、寮で会ってビックリした思い出もあります。

―― そのあと、アイドルとして活躍されながら、演歌への思いはずっと持ち続けて...。
おニャン子では、踊ったりするのが初めてですごく抵抗があったんです。レッスンでは居残りさせられるし。これから先どうなるんだろうって思っていたときに、「次、早苗デビューするぞ」っていわれて。

008_pho01.jpg ―― 不安とかありましたか。自信は?
すごく不安でした。どうやってデビューするんだろう...。自信はまずありませんでしたね。私、デビューしてからずっといわれ続けたのが「自信を持ちなさい」っていうことだったんですけど、「どうやって自信を持てばいいんですか」という感じでした。

―― それはやっぱり、城之内さんの個性を出せばいいんじゃないですか?
これでいいのかなって思えたのは、30歳過ぎてからなんですよ。20代の10年を「そこそこがんばってきただろう」と思えたときに、自分が楽になったんですね。私は、たとえばミカン箱の上で歌うキャンペーンのような苦労はしていないから、苦労知らずなんです。でも、苦労をしていない苦労っていうのもあるかなって思ったりしますね。

歌うこと、話すこと、演じること

―― ラジオでパーソナリティーをされたりするときと、歌うときとはどう違いますか。
歌は作り手があって、歌手は聴く人と作り手を結ぶ「メッセンジャー」なんですね。伝えるという使命があるので、そこにひとつのテーマで「演じる」ことが求められるんです。でも、「しゃべり」っていうのはテーマではなく、城之内早苗という人としてしゃべるんです。ただ、プライベートな城之内ではなく、表に出ている城之内を演じているんだという部分もあると思いますけど。

―― それもメッセンジャーのひとつですね。
歌では歌の世界の女性を演じるし、他のジャンルでは「城之内早苗」という人間を演じているかもしれないです。ただ、「素」になってしまったらみんな「見たくない」っていうと思うので、素にはなれないですね(笑)。

―― メッセンジャーという部分では、やはり何かを伝えるということなんでしょうか。
歌はやっぱり、その内容がありますよね。作った先生の思いとか。それが1曲ずつ違うので大事にしながら、自分なりの解釈を加えて歌う。ただ、聴く人もそれぞれの事情もあるので、あとは好きに聴いていただければって思います。

―― テレビのドラマでも活躍されてますが、それもまた違うメッセンジャーですよね。
ドラマっていうのは、いわゆる役者さんのお仕事だと思いますね。そこの部分では、私はもう素人です(笑)。毎回、「何を伝えよう」と思う間もなく過ぎ去ってしまったのがドラマでした。歌は1曲いただくと、それを1年、同じ歌詞で繰り返し歌いますよね。自分のなかで、煮詰めていく作業があるじゃないですか。でも、ドラマはセリフが次々まわってきて、それを消化して出すの繰り返しだと思うんです。歌は「牛の4つの胃」のように時間をかけて消化するけど(笑)、ドラマはすぐ出すっていうふうにまったく性質が違うので、同じ表現をするのでも、すごく苦手かもしれません。

―― ということは、ビデオなどに残らないで、1回演じて終わりになっちゃうほうがいい?
残さないほうがいいです。ただ、おニャン子時代に「月曜ドラマランド」で時代劇の主演をやらせていただいたものを、DVDで売り出すのでコメント下さいっていわれたので改めて見たんですよ。ふざけてて面白かった(笑)。ある程度時間がたって、「あ、こんなこともやってたんだ」って客観的にみられるという意味では、残っているのはありがたいなって、いまだからいえますね。

008_pho02.jpg―― 違う自分がいたみたいな感じですか。
あんなことは当時だからできたことで、いまは絶対にできない。貴重な経験をさせてもらったと思います。でも、いろんなお仕事をさせていただくなかで、いつも最後に「私は歌い手でよかった」って思うんです。違うお仕事をやるたびに、私は歌手なんだなって自覚できる。帰ってくるところが「歌い手」だっていうのを、感じさせてもらったのがドラマだったんだと思います。

―― 自分のなかには何か順位があって。
はい。女優はありえないです。歌手が一番ですね。ただくやしいのは、おニャン子時代に出した「あじさい橋」以上のものが、この20年間で出せなかったこと。だから、「タレントさんですか」っていわれることもありました。でも、歌えなくなるまでには、誰からも「歌手の城之内さんですね」っていってもらえるようになりたいです。

みんなが喜べる「肖像権」であってほしい

―― 最後に、社団法人日本音楽事業者協会の行なっている「肖像権キャンペーン」についてお伺いしたいと思います。たぶん城之内さんご自身も、ご自分の写真などが思わぬところで使われたりして、いろいろな思いをなさったこともあるかと思うのですが。
肖像権の啓蒙などやっていただいて、私たちにとってはやさしい時代になったと思います。こういうお仕事をしていると、自分の写真などがいろんな使われ方をされてもしょうがないって思ってきましたから。でも、携帯で写真が撮れて人に送れる時代になってしまうと、何をどうされるかわからない。

―― 違う目的に使われてたら困ります。やはり、肖像権の問題は重要ですよね。
そうですよね。技術が発達していろんなものにできるから、これからもっと怖い時代になるときに、そうやって権利を啓蒙していただくのはすごくありがたいですね。

―― 日本ではまだ業界の間でも意識が低いし、一般の方々も知っていただかないと。
たとえば、コンサートの会場で「録音はおやめください」とか「写真は撮らないでください」って注意するようになったのも最近ですよね。それが必要な時代になってきたということなんですね。ただ、たとえばおばあちゃんたちがコンサートにきた記念に写真を撮りたい。それを「やめてください」っていうのはすごく胸が痛むんですけど、売ったりする人たちがいることを考えれば、規制はかけないといけないと思いますね。

―― かつては携帯で写真なんか撮れなかったし、機器もどんどん発達していますし。
目の前でいきなり携帯で撮られることもある。撮らせてくださいの一言があればいいんですけど、ただ黙って近づいてきて撮っていってしまうのは、人としていいんだろうかと思いますね。

008_pho03.jpg ―― 著作権や肖像権は「ダメ」というだけでなくて、「こういう使い方ならいいよ」という面もある。そういうところを啓蒙していくのも、私たちCPRAの役割なんです。
「城之内早苗」という名前が表に出ている以上、それはみんなのものであるべきなんですよ。知っていただき、共有していただかないことには私たちも困ってしまいますし。でも、それが違った形で使われてしまうと、やはりマナー違反になると思います。みんなで楽しくなれる使いかたならいいですけどね。

―― これからも多くの人の心に響く歌をうたっていただき、多彩なご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。

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