SANZUI vol.08_2015 autumn

特集 80's Spirit

80代だから、挑戦する。
歳は、取るものでなく、重ねるもの。
舞台の上やテレビの中の80代を観ていると、そう思えてくる。
若い頃にその道に入り、夢や希望を追い続け、時には失敗や挫折もあっただろう。
それでも挑戦し続けることで昇華した、人生の高み、深み、輝き。
だから、80代の「今」というピークがあるのだと思う。
40代、50代なんて、まだまだ子ども。
そう言われているような気がする、80代の挑戦者たちである。

一柳 慧
伝えたいことを音楽に、それが情熱の源。

Photo / Ko Hosokawa

2014年1月、作曲60周年と80歳を記念した演奏会を成功裏に終わらせ、ますます精力的に、作曲や芸術監督など多方面の活動に取り組む一柳慧。

「音楽は情熱がないとできないですね。特に今は、優しく聴きやすいイージーリスニング的な音楽が多い。そんな音楽ばかりが社会に蔓延すると、芸術音楽が持っている音楽本来の意味とか、音楽は時代を表し、社会と関連する、といった要素、つまり社会性を失って衰退しかねません。それをできるだけ避けたい」

今また戦後の50年代、60年代の芸術が見直されているが、あの時代のパワーと現在のものは地続きなのだろうか。

「やはりあの時代に学んだものやお会いした先輩、同じような考え方を持った友人達の剌檄は今に生きています。大戦後すぐにNYに行ったのですが、アメリカは一回も爆撃を受けず、地上戦もなかった。だから戦争が終わり一遍に解放されたアメリカは新しい芸術の創造にとって一番いい時期でした。音楽を通して、戦争への反省の上に立って次の理想や夢、何か新しいものを求めることが、とても盛んだった。それが幸運なことに、私が行った頃と重なり、刺激を受け現在までつながっています」

そのアメリカで弟子入りした偶然性の音楽で知られるジョン・ケージや、彼から学んだ、五線譜では表現しきれない音楽をグラフィカルに描く図形譜を日本に紹介したのも一柳だった。そんな彼の今年(※編集部注:2015年)1月に初演を迎えた交響曲第9番『ディアスポラ』のテーマは戦争だった。

「年取ると、子供時代をはっきり思い出すんです。12歳の時に3年8ヶ月続いた戦争が終わりましたが、内地でもいろんな苛酷なことがありましたから、子供なりに覚えていることを音楽を介して本質的にきちんと伝え残すべきだと思っています」

現在、交響曲10番を作曲中で11番も委嘱されているという。

「聴いてくれた人それぞれが違う受け止め方でいい。違いを認め合いながら閉鎖的にならない音楽をと思っています」

「今では様々なメディアがあり、音楽は簡単に聴ける。しかし、それは機械から聞こえる音。そこに若い人の問でも反発し、生の音や演奏に関心を持つ人が増えてきている。だから、これからはまた面白くなるんじゃないですか」

来年は、自作のピアノ協奏曲を自ら演奏する予定も。「今からストレスだ」と語りながら、どこか楽しそうだ。「好きなことをやっているからですね」。そんな笑顔は、とても80歳には見えない。情熱たぎる青年そのものだ。

取材・文 山口眞子(音楽ライター)



PROFILE 作曲家、ピアニスト。1933年生まれ。19歳で渡米。ジュリアード音楽院でクーセヴィツキー賞他受賞、実験音楽の作曲家ジョン・ケージの弟子に。彼の思想に影響を受け、28歳で帰国後、偶然性や図形楽譜による音楽を紹介。反復音楽や日本の伝統音楽にも影響を受け、30代後半頃から「音楽の空間性」に着目した独自の作曲思想を展開、多岐に渡る作品を発表、アンサンブル「千年の響き」芸術監督。フランス文化勲章など受賞多数。
(※情報は発行当時)

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