PLAZA INTERVIEW

vol.020「ジャンルをこえて音楽の真髄を」

祖父は、戦前から戦後にかけて数々のヒット曲を生みだし、昭和の歌謡界を築きあげた服部良一。父親は、音楽家歴50年をへて、現在も第一線で活躍中の服部克久という家系に生まれ育ち、18歳でパリに音楽留学をした服部隆之さん。23歳で帰国後の88年から音楽活動をはじめると、活躍の場を日本のあらゆる音楽シーンへと一気に広げてきた。その経歴には、編曲でさだまさしや福山雅治など、楽曲提供で平原綾香、秋山雅史など、音楽を担当したテレビドラマではNHK大河ドラマ『新選組!』『のだめカンタービレ』など、映画では『蔵』『ラヂオの時間』『電車男』など、また、数々の音楽劇、ミュージカル、舞台音楽、さらには、アニメ、ゲーム音楽制作と、書き尽くせないほどの作品名、アーティスト名が並ぶ。様々なメディアを通じて音楽の素晴らしさを伝え続けてくれる服部さんに、音楽にこめる深い思いをCPRA広報委員会の松武秀樹委員長がうかがった。
(2009年12月09日公開)

Profile

作曲家・編曲家
服部隆之さん
1965年東京に生まれる。祖父に服部良一、父に服部克久をもつ。18歳でパリのコンセルヴァトアール国立高等音楽院に入学。88年に帰国後、音楽活動を開始。ポップス(福山雅治、椎名林檎、山崎まさよしなど)からクラシック(鮫島有美子、武満徹など)まで、幅広いアーティストのアルバム、コンサートなどの編曲を手がける。作曲家として、映画では96年「蔵」、98年「誘拐」「ラヂオの時間」の3作品で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。テレビドラマでは NHK連続テレビ小説「すずらん」「HERO」「王様のレストラン」、04年NHK大河ドラマ「新選組!」、06年「のだめカンタービレ」などを手がけ、さらにはコマーシャルやゲーム音楽など多岐にわたる音楽ジャンルで作曲家として活躍中。

幅広く作曲の手がけて

――服部さんは、お祖父さんとお父さんも著名な作曲家で、ご自分も作曲家なわけですが、お二人を意識している部分はありますか。 それはないですね。親父と同業の仕事するようになってかなりたってから、親父がある程度のクオリティを落とさず50年もやってきたという、その大変さに ちょっと「すげえ」って思うようになったことはあります。

020_pho01.jpg ―― 自分とお父さんと比較したりしますか。
親父のサウンドって嫌いじゃないんですよ。小さいころから聞いてますから、大なり小なり似てくるんじゃないですかねえ。

―― じゃあ、お互いに刺激し合ってる?
いや、親父は別に刺激受けてないでしょ(笑)。

―― ポップスやクラシックなど、幅広いアーティストのアルバムのアレンジなどをされてますが、一番最初にやったお仕事は?
さだまさしさんなんです。

―― じゃあ、お父さんのつながりで。 ええ。そういう意味では、僕の最初の仕事は、「七光り」以外の何物でもないと思います。さだまさしさんも、谷村新司さんも、親父がお付き合いあった人から 声をかけていただいたんです。

―― いろんなジャンルで仕事をされてますが、クラシックとポップス、どっちが好きですか。
クラシックはあのころのポップスなので、どっちがっていうことはないんです。モーツァルトの書いたオペラをあのころみんな歌ってたように、いまのポップスも100年後にはクラシックになってる。そういう意味ではポップスもクラシックも、区別がしにくいんです。

―― 作曲の仕事にとりかかるタイミングは何かありますか。
席に座ってさあっていうんじゃなく、最初の打ち合わせをしている段階から、なんとなくその仕事のイメージってしてくるんです。そこからいろいろなことを同時に考えつつ、どうしようかなって考えていくのがいいんですね。何もイメージがわかないときが、難産だと思います。嫌なイメージでもいいんですけど、打ち合わせしたときから何かイメージが出ているといい。

―― ところで、電子楽器の扱いが苦手だと聞いたんですが。
これを松武さんに話すなんて、という感じですが(笑)、僕はシンセサイザーを自分で打ち込んだりはしないんです。でも、シンセは自分にとっては、ひとりの楽器と一緒なんです。自分の書いた旋律をすごくうまいオーボエの人が吹いてくれたら、素晴らしい旋律になる。それと同じで、僕の書いたコードとかフレーズを、シンセでマニュピレーティングしていただくと、僕がもってないアイデアが出てきたりとか、こちらがいったことと何か融合して面白い反応が出てくる。ちょっと「あれっ?」て思っても、相手にいただいたパッドの雰囲気とか音の残り方とか、シーケンスの雰囲気とか、絶対俺はやらないなっていうのが出てくるところに、ワクワクするものがあるんじゃないかなって思うんですよ。

ドラマの音楽と映画の音楽と

―― ドラマと映画では、作曲の意気込みなどは違いますか。
映画の場合は、監督がフィックスしたシーンに、あて書きをしていけますよね。でも、ドラマの場合は、脚本が12話のうち2本しかあがってないとか、シーンが全部撮れてないとかが多い。だから、12話分の粗筋と要所をいただいて、だいたいこういう展開のドラマということで、それに合うであろう3、40曲をつくるわけです。あとは、音効さんがあててってくれる。

――そういうやり方なんですね。
仕事を始めたころは、不本意だったですね。どうして自分の書いた曲をズタズタに切り裂いて、無理矢理はめるのかと思った。ところが、ズタズタに切ったおかげで、こっちが思いもしないすごくいい効果を生むこともあるんですよ。これはすごいと思った。

020_pho02.jpg ―― 相乗効果ですね。
ドラマの場合は、オンエアを見るまでは非常にスリルがありますね。だって、たとえば、「王様のレストラン」ていうドラマをやったときは、テーマじゃないつもりで書いた曲が番組のテーマになってしまった。でも、結果的にはよかったんです。そういう意味では、ドラマはスリルとサスペンスがあるんですよ。ドラマの場合は曲を書いたら僕の手を離れちゃうんですけど、あとは音効さんとか監督の意向をへて、なかなかいい効果を生む時ってありますね。

――「新選組」や「のだめカンタービレ」などの音楽をやられると、そういうのに似た曲をみたいな注文があったりはしないですか。
ドラマがヒットすると、僕の曲のおかげでヒットしたわけじゃないのに、やっぱり似たような曲をというオーダーは受けます。

――そういうときって、いや、同じものは書けないって、ことわっちゃうんですか?
さすがに、まだそれはやったことないですね(笑)。でも、自分で焼き直しするのって、なかなか難しいんですよね。

「音至上主義」の楽しさ

―― 今年11月にWOWOWで放送された、ハワイの地球の音楽のドキュメンタリー。あれも現地までいったのだと思いますけど、やってみてどうでしたか。
あれは、ドキュメンタリーであり、なおかつ音楽と音を前面に出すという番組だったので、非常に楽しかったです。ハワイ島の火山が水の中に入って固まる音とか、マウナ・ケアっていう4200mの山の上の風の音とか、自然の音をすごく再現性のある録音でとってくれて、その音を、僕が楽器のプレーヤーにしちゃうんです。だから、音楽があってそこにSE(効果音)が乗ってるんじゃなくて、まるで僕が書いた曲に自然の音があわせているように、リズムがかみ合ったりとか。

―― 先にSEを録ってきて、曲をつくった。
そうです。それで5分ちょっとのひとつの曲にまとめる。SEを録る時、僕も現地にいって見てるわけです。

―― じゃあ、その時点で「これはあそこで使えそうだな」とか考えておいて。
使えそうだなって思ったものが、あとで聞いてみると全然だめだったり(笑)。風の音なんて、ただのノイズにしか聞こえなかったりとか(笑)。でも、とにかく「音至上主義」の番組だったので、すごく楽しかったです。

「作曲家」の仕事は余暇と一緒?

―― 余暇はどのように過ごしてますか。
この仕事はずっと余暇だというのが、服部家のひとつの考え方なんです。作曲は別に資格があるわけじゃないし、誰でも「俺、今日から作曲家」っていえばなれるものでしょ。だから親父は「俺たちは無職だ」っていうし、僕もそう思ってるんです。余暇のなかに、たまたまいただいた仕事があると。

020_pho03.jpg ―― はあ。
強いて言えば、5年ぐらい前からちょっとメタボ気味になっちゃったんで、週に3回ぐらい、2時間ほど家の周りを散歩するんです。これが、いいんですよ。曲づくりのあとに散歩していると、エンディングはあっちじゃなくてこっちに直すともっとかっこいいかなって思いついたりするんですよ。

―― なるほど。ところで、私的録音録画補償金制度の問題など、実演家の権利に関していろいろ議論もありますが、ひとりの作曲家として、どのようなお考えをおもちですか。
僕らみたいな仕事は、何かあったら生活はどうしようっていつも考えてるんですね。そういう不安を抱えてることに対して、それを解消したいというのは当然の行動なんじゃないかと思いますね。

―― 権利が軽視されれば、音楽家になりたいという人も少なくなっちゃうんじゃないか。そういうなかで、補償金的な制度は、何らかの形できちんと残していかなきゃならない制度だと思うんですよ。
そうですね。僕もそう思いますね。

―― 最後に、今後のご予定は?
来年、「上海万博」が5月からあるんですが、その日本館の音楽を全面的にやることになってます。

―― おお、それは素晴らしい!
佐藤真さんていう、黒テントなどのアングラ的な演出家の方の演出で、初めての顔合わせでやらせていただくんです。暮れあたりから、中国へも行くことになります。

―― それはすごい。ぜひ、みんなで観に行きましょう。がんばってください。ありがとうございました。

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